答.思考が身体の経験と無関係な空想にふけったらどうなるかだよね?
身体と親密な心が置いてきぼり喰らって、感動しない体質になるよ!
☆★☆ピックアップフレーズ☆★☆
ふのうにおいてのうをとう
不能において能を問う
身の丈以上の事をしても良い事なし。それどころかお先真っ暗。という意味。
自分の脳で操れるのは、自分の身体だけ。身体が経験し得ない事を、脳はどうこうできない。
8-5(191)
〔曾子(そうし:人名)〕
無能な状態なのに、能力が何たるかを思考する、とする。
一つしかない状態なのに、多くの事の何たるかを思考する、とする。
これでは、
環境や状況にゆらゆら流されて、結果を出す事に繋がらないし、
環境や状況にゆらゆら流されて、分別がつかず虚しい犯罪に身を染める。
そして、自分らしさと無関係な所で、ゆらゆら流されているうちに、
自分と先祖の繋がりなど、ルーツに実感が持てなくなり、自己存在感が薄くなる。
自己存在感が薄くなると、心で強く主張して表層化し得る仁や徳などが生じなくなり、
友達は気が合うかどうかでなく、価値があるか査定して選び、損得の為に付き合い、
イベント事には、それを行う深い動機に、関心も持てないし共感もできないので、
最低限の形だけ参加し、損得の為に心なく従うのだ。
≪状況の推測≫
「身近な所から学ばないとどうなるのか」が気になる者へ、こうなるよと助言中。
論ジェルポイント
先祖大好きだよね曾子さんって。ちょっと現代人とギャップありすぎるから、補足を強めに入れてみたよ!
自己存在感というのは、現代では宗教か企業に帰属する事で得られるやつをそう表現したよ。あと学歴もね!
白文
曾子曰
以能問於不能
以多問於寡
有 若無實 若虚犯
而不校昔者
吾友嘗 從事於斯矣
書き下し文
曾子曰く
もってするは、不能において能を問う
もってするは、寡において多を問う
有るは、若の實が無し 若の犯が虚し
そして昔の者と校にあらず
吾は友を嘗する 斯きにおいて從う事や