答.うん、まずは言葉の定義付けの由来を考えてみようね!
言語は他者と交流する為に発明されたんだ。侵略する為ではないよ!
☆★☆ピックアップフレーズ☆★☆
あがるぜん そしてきょうがあたわず すなわちかん
舉がる善 そして教が能わず すなわち勸
見本を出し、教えなければ、それこそが勧めるという事。という意味。
いかにして誘導するかを「勧める」と呼ぶ者がいる。自分軸をどうか大事に!
2-20(36)
季康子(きこうし)が問う。
使役した民に、支配者に対する敬忠を勧めたいのだが、
このような形に収めるにはどうしたらよいか。
〔孔子〕
民全員を平等かつ公平に評価する事を、威張らずコッソリと行えば、
民はあなたをかけがえのない存在だと思う事でしょう。
また、民と深く交流し、母が子を愛するかのように大切にすれば、
民は平常心でいる事ができ、あなたに真心で接するようになるでしょう。
そして、善の見本を用意せず、教えもしない事を、勧めると呼ぶよ。
≪状況の推測≫
も~っと他者を都合よく物扱いしようとする者へ、助言中。
論ジェルポイント
孔子さんって、ひねくれたジョークみたいな返答ばっかりだよね。粋だけどさ。(笑)
まさか「知」だけでなく「教」もタブーな概念だったとは…。現代が行き難いわけだね!
白文
季康子問
使民敬忠以勸
如之何
子曰
臨之以莊則敬
孝慈則忠
舉善而教 不能則勸
書き下し文
季康子(きこうし)問う
民の使えきに敬忠は 勸めるをもってする
如くゆくは何
子曰く
臨みこれ莊(ソウ)をもってする すなわち敬
孝慈 すなわち忠
舉がるは善そして教 能いあらずがすなわち勸