論語エンジェルの【誰でも君子になれる論語の現代語訳】

論語の原文を、何のひねりもなく素直に読んで、現代語に翻訳するよ!

問.「他者の真似をする自分らしさ」って、ありえる?

答.それはやっぱり、自分ではない何者かになる事になってしまうよ!
  世界に一人しかいない自分を、自分で否定しちゃうのは勿体ないよ。

☆★☆ピックアップフレーズ☆★☆

なんじにあらずのところにおよぶなり
なんじにあらずの所におよぶなり

自分らしくない何者かになっていってしまうようだ。という意味。

自分らしさの延長線上に、誉れ高き自分らしさがある。ないものねだりはほどほどに!

5-12(104)

〔子貢〕

私は、がめついて自分のアイデンティティを、

貫いたり守ったり高めたりするよりも、

他者のアイデンティティの良い所どりをしたい。

 

もしかすると私という一個人は、欲がないというより、

「無」である事を渇望しているのかもしれない。

他者の表面的なアイデンティティどころかコアな人間性まで、

自分の物にしたいと思っているから。

 

自分の感性は、自分にもとからあった自分らしさを表現しないように欲して、

そして、多くの他者の感性の良い所を取り入れるとよいだろう。

 

自分の理性は、それとは別で、無の極致である事を欲して、

そして、多くの他者のひととなりを取り入れるものだ。

 

〔子曰〕

君のような者は、

自分ではない何かしらから影響されるのだろう。

 

≪状況の推測≫
他者の事が気になりすぎる者へ、もうそれ自分じゃないからと助言中。

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欲は誰にでもある。あっていい。でも、変身願望の欲が強すぎると、自分らしさを見失ってしまうんだね。
他者の良さを参考にするのはいいけど、変身願望自体が自分らしさなのだと勘違いするのはもったいない!

白文

子貢曰

我 不欲人之 加諸我也

吾 亦欲無 加諸人

 

子曰

賜也非爾所及也

書き下し文

子貢曰く

我れ、欲するにあらずは人をしゆく、諸の我れを加えるなり

吾れ、または欲するは無、諸の人を加える

 

子曰く

賜(し:子貢の事)なるはなんじにあらずの所におよぶなり