論語エンジェルの【誰でも君子になれる論語の現代語訳】

論語の原文を、何のひねりもなく素直に読んで、現代語に翻訳するよ!

問,「聖人」ってカッコイイじゃん! この気持ちは本物だから、自分はその目標を貫くよ!?

答.親から貰った個性を潰して、空想で覆い隠すのが「聖人」なのか?
  誰でも想像できる「聖人」より、唯一の個性の方がカッコイイよ!

☆★☆ピックアップフレーズ☆★☆

いえどもいうはなんじのみや
謂えども云うは爾のみや

凄く魅力的な目標があった時に、自分の動機だけで目指したと言い張る。という意味。

外部の魅力的な目標を達成したいという動機は、内側にある仁から産まれる事はない。

7-35(182)

孔子

「聖」という幻想に振り回されて、「聖人」になる事を本気で追い求める人がいる。

そうすると謙虚になりすぎて、ご馳走が目の前にあってもあえて抑制するようになる。

自分の感性がそれを本当は本当に食べたいと望んでいたとしてもだ。

 

「聖」が圧力をかけているわけではない。

その人が、教わってそのまま暗記する事に、ウンザリしていないから実現する事だ。

といえども、本人はそれが自分自身のみの動機によるものだと、言い張るものだ。

 

〔公西華(こうせいか)〕

まさしくその通り。

弟子にはただ、自分で主体的に実体験を積み重ねる能力がないだけだ。


≪状況の推測≫
「聖は良くない」というと「自分の聖なる動機が侮辱された」と怒る弟子へ、「そこ分別つく?」と助言中。

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この章、波乱要因だなぁ。論ジェルは解読してるだけで、孔子さんの名を借りて自分語りしてないからねっ!
「聖」より先に「何かに従いたい」っていう欲求が先にあるんだよね。だから「聖」が作られたんでしょう。

白文

子曰

若聖與仁則吾豈敢抑

爲之不厭

誨人不倦則可

謂云爾已矣

 

公西華曰

唯弟子不能學也

書き下し文

子曰く

若に聖と與む仁、すなわち吾れの豈をあえて抑える

爲すはこれ厭にあらず

誨しえに人は倦ならず、すなわち可

謂えども云うは爾のみや

 

公西華(こうせいか)曰く

唯弟子、學が能うにあらずなり