論語エンジェルの【誰でも君子になれる論語の現代語訳】

論語の原文を、何のひねりもなく素直に読んで、現代語に翻訳するよ!

問.合理性を追求できる理性が、盲点を作るなんてありえるの?

答.普遍性を正確に認知した上で、更に新しく創造するのは至難の業だ!
  どこかを上げればどこかが下がる。リスクが見えない時こそ危ういよ!

☆★☆ピックアップフレーズ☆★☆

がにあらずなるはふにさんしなり
我にあらずなるは夫二三子なり

理屈で理想を追い求め過ぎた結果、自然体が失われる事はよくある。という意味。

悲しみが行事で薄れるわけないのに、行事で癒そうとするのは、道理を見失っている。

11-7(250)

顏淵さんが亡くなった時の事

 

孔子

ああ、世の中全てが悲しみでないている。世の中全てが悲しみでないている。

 

 

これも、顏淵さんが亡くなった時の事

孔子さんは、大きな声で泣き、身体全体を動かして嘆かれていた。

 

〔從者〕

孔子さんが身体を動かしてまで嘆かれているぞ。

 

孔子

そりゃ、身体まで動いて嘆くよ。

彼ではない人の為に大きく嘆くとしたら、それは誰にするのか。

 

 

これまた、顏淵さんが亡くなった時の事

門下生たちが、彼のお葬式は盛大に行おうと欲した。

孔子さんが「それはできない」と止めたにもかかわらず、
門下生たちは盛大なお葬式を実施した。

 

孔子

回(かい:顏淵のこと)のような人を、
しっかりとその目で見て認識し、その長所を押し広めていく行いは、
彼には、尊敬すべき父親のようなものであってほしいと、こいねがった結果だ。

押し広めるだけ押し広めて、認識して得るもの得ようにも長所が見えない行いは、
彼には、向上心を持った子どものようなものであってほしいと、こいねがった結果だ。

 

どちらも、何かを外に外にと求めて現実を歪ませる、空想を具現化させる行為だ。

私が一般的かつ小規模な葬式を提案していたのは、
自分の気持ちに嘘をついていたからではない。同時に、我慢していたわけでもない。

それが一番、自分の感性通りの提案だったのだ。

 

生前の彼自身の素晴らしさや、盛大な葬式のきらびやかさや美しさにとらわれ、
自分の感性に従う事をしなかったのは、葬式をとりおこなった門下生たちの方だろう。


≪状況の推測≫
気持ちがたかぶるなら行動や行事も盛大にするべきという者に、それはそれこれはこれと助言中。

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回さんはシンプルイズベストなんだから盛大にやっても喜ばないよね。むしろ回さんの良さが台無しになる。
「吾は理性、我は感性」と訳してきたけど、ここは「吾は知能、我は本能」の方がわかりやすいのかも……。

白文

顏淵死

子曰

噫 天喪予 天喪予

 

 

顏淵死

子哭之慟

從者曰

子慟矣

 

有慟乎

非夫人之爲慟而誰爲

 

 

顏淵死

門人欲厚葬之

 

子曰

不可

 

門人厚葬之

 

子曰

回也

視予猶父也

予不得視猶子也

非我也夫二三子也

書き下し文

顏淵が死す

子曰く

ああ 天に喪が予する 天に喪が予する

 

 

顏淵が死す

子が哭をしゆき慟する

從者曰く

子が慟したや

 

曰く

有るは慟するよ

夫にあらずの人にしゆく爲すは慟、それは誰に爲す

 

 

顏淵が死す

門人が厚く葬をしゆくを欲する

 

子曰く

可にあらず

 

門人が厚く葬をしゆく

 

子曰く

回なるを

視して予するは猶する父なり   予して得るにあらずの視は猶する子なり

我にあらずなるは夫二三子なり