論語エンジェルの【誰でも君子になれる論語の現代語訳】

論語の原文を、何のひねりもなく素直に読んで、現代語に翻訳するよ!

問.理性を過剰に育てないコツって、何かある?

答.現代人には合わないけど、身の丈以上の大きな夢は持たない事だよ!
  理性の無意識が森を基準にすると、意識時以外は木が見えなくなるの!

☆★☆ピックアップフレーズ☆★☆

ごにあらずのちなり
吾にあらずの知なり

理性のように見えて、外部から取り入れた習慣や常識などがあるだけ。という意味。

これが非現実的な概念に染まると、無意識的にどんどん感性を破壊するので注意。

11-20(263)

子路(しろ:人名)と、曾晳(そうせき:人名)と、

冉有(ぜんゆう:人名)と、公西華(こうせいか:人名)が、

孔子さんのそばに座っている。

 

孔子

自分らしい理性を一日中張りつめさせていると、時間は長いものだよ。

そして完璧にそれをこなす事は難しい。

 

自分らしい理性が発動していない時に、その代わりにオートモードで使うのは、
習慣や常識など、日常生活において無意識的に身体に染みつかせたものであり、
よくいわれている所のアンコンシャス・バイアスみたいなものだろう。

 

このようなオートモードは、誰もが持っているものである。

自分のそれがどんなものであるか、意識化できるかな?

 

子路(しろ:人名)〕

率先してこたえる!

中規模サイズの国、つまり諸侯国を統率する事よ。

大国の間に挟まれても、傀儡政権になることなく独立を貫く。

優秀な人材が他国へ行く事件があったとしても、

飢饉で食料不足になったとしても、

私のような者が、民を三年使役する事によって、一般的な情勢に戻してみせよう。

勇ましく自らの体験に基づかない情報を他者に伝える誰かがいたら、晒しあげる。

 

孔子

求(きゅう:冉有の事)さんはどうだ?

 

〔求〕

六七十里か、例えば五六十里かであれば、

私のような者も、民を三年使役する事によって、一般的な情勢に戻せるだろう。

それによって民が満ち足りて、それによって礼楽が盛んになれば、
あとは自ずと君子が生まれ出でるのを待つだけだ。

 

孔子

赤(せき:公西華の事)さんはどうだ?

 

〔赤〕

言葉で教えを説かない。

やる事といえば、学びつくす事を一心に願って努める。

国の先祖を祭る行事や、会談時には、
衣服を整えた上で、一心に願って補佐役に徹したい。

 

孔子

點(てん:曾晳の事)さんはどうだ?

 

 

點は、希にキンと琴を鳴らしていたが、琴を手放し、返答を考え出した。

〔點〕

先に答えた三人が選んだものとは、全く違うよ。

 

孔子

気が引けるとしたら、それは事実に基づかない事で気落ちしている状態だよ。

また、三人の回答は各々の志によるものだから、そもそも似ないのが普通だ。

 

〔點〕

春の終わりに当たる頃、新しい春着を着て、

大人五六人、子ども六七人で、川の水で身を清めたいよ。

沂(き)の河の風を感じたいよ。

雨乞いの舞をして、歌を詠って、それから家に帰る。

 

 

孔子さんは、溜め息をつくような事態の中、乾いた雰囲気を壊して喋る。

孔子

自分の理性としっかり一致しているのが點さんなのだろう。

 

 

三人が先に出てゆき、曾晳は出て行くのが遅れた。

〔曾晳〕

彼ら三人が言った事は、つまりなんだったのでしょう?

 

孔子

三人の回答は各々の志によるもの、だから個別性がある。それだけだ。

 

〔曾晳〕

由さんは、勇ましさと知恵ある者を晒すと言っていたけど、何故そんな事を?

 

孔子

彼が誰かに害をなそうとするように見えて、確かに不思議に思われる所だな。

キーポイントは国だ。

内なる気持ちを外部に正確に表現する事。それを土台に国造りをするならば、
勇敢な者の言葉や、知恵の伝道者の言葉が邪魔になるので、許容する事ができない。

「自分の気持ちを大事にしていい」という事を最大のよい事と設定するならば、
「自分の気持ちより他者の言葉の方がいい」と思わせるものは、
よくない事として晒して見せしめるしかないのだ。

 

別のケースで、求さんの話は国じゃないから、そういった事はしない。

何十里もあればそこに国もあるだろうが、
彼はあくまで「このくらいの広さの範囲」という見方をしている。

彼自身が国を意識していないような者だ。

 

別のケースで、赤さんの話も国ではない。

国の儀式なのだから国の話のようではあるが、
儀式そのものに着眼点があるのであって、国をどうこうしたいという話ではない。

その儀式が彼にとって、国でないなら何に当たるのかは不明だが。

 

赤さんがオートモードでやろうとしている事は、比較的小さな事である。

しかし、三人はいずれも、理性にとっては大きな事をやろうとしている。


≪状況の推測≫
理性の無意識を意識化しようとすすめたらその概念がなかった者へ、そういう人もいるのだと助言中。

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強い影響力と能力のあるBIGな人になる事が夢な人と、身近な環境を安定させる事が夢な人に別れるよね。
後者が褒められたけど、家庭内で無自覚モラハラするのって後者よ。やっぱ無意識は誰にでもあるよ、うん!

白文

子路 曾晳 冉有 公西華 侍坐

 

子曰

以吾一日長乎

爾毋吾以也居則曰不吾知也

如或知爾則何以哉

 

子路率爾對曰

千乘之國攝乎

大國之間加之

以師旅因之

以饑饉

由也爲之比及三年可使

有勇且知方也夫子哂之

 

求爾何如

對曰

方六七十 如五六十

求也爲之比及三年可使

足民如其禮樂以俟君子

 

赤爾何如

對曰

非曰

能之願學焉

宗廟之事如會同端章甫願爲小相焉

 

點爾何如

鼓瑟希鏗爾舍瑟而作對曰

異乎 三子者之撰

 

子曰

何傷乎 亦各言其志也

 

莫春者 春服既成

冠者五六人 童子六七人 浴乎 沂風乎

舞雩 詠而歸

 

夫子喟然

歎曰

吾與點也

 

 

三子者出 曾晳後

曾晳曰

夫三子者之言何如

 

子曰

亦各言其志也已矣

 

夫子何哂由也

 

爲國以禮 其言不讓是故哂之

 

唯求則非邦也與

安見方 六七十 如五六十

而非邦也者

 

唯赤則非邦也與

宗廟會同 非諸侯而何

 

赤也爲之小 孰能爲之大

書き下し文

子路(しろ:人名)、曾晳(そうせき:人名)、

冉有(ぜんゆう:人名)、公西華(こうせいか:人名)が、侍して坐する

 

子曰く

吾をもってする一日は長よ

 

なんじになかれし吾がもってするは、なりの居、すなわち曰く吾にあらずの知なり

如くある知、爾はすなわち、何にもってする哉

 

子路、率して爾に對して曰く

千乘の國の攝よ

大國の間に加をしゆく

もってするは、師旅の因をしゆく

もってするは、饑饉

由(ゆう:子路の事)なるが爲しゆくは比に及び、三年使うが可

有るは勇かつ知の方なる夫子を哂しゆく

 

求(きゅう:冉有の事)、なんじは何の如く

對して曰く

方六七十 如五六十

求なるが爲しゆくは比に及び、三年使うが可

民は足り、如くその禮樂が、もってするは俟する君子

 

赤(せき:公西華の事)、なんじは何の如く

對して曰く

曰くにあらず

能いゆくは願する學の焉

宗廟のしゆく事 如くは會同 端章甫 願して爲すは小相の焉

 

點(てん:曾晳の事)なんじは何の如く

希に鏗と瑟を鼓く 爾に瑟を舍し、そして作する

對して曰く

異よ 三子者がしゆく撰

 

子曰く

何が傷よ また、各言はその志なり

 

曰く

莫する春の者 春服が既に成り

冠者五六人 童子六七人 浴よ 沂の風よ

雩を舞い 詠いて、そして歸する

 

夫子は喟の然

歎して曰く

吾と與むが點なり

 

 

三子者が出でて 曾晳が後れる

曾晳曰く

夫の三子者がしゆく言は何の如く

 

子曰く

また、各言はその志なるのみや

 

曰く

夫子を何で哂すが由なり

 

曰く

禮をもってして國を爲すは、その言の讓にあらず是のふるめきを哂しゆく

 

唯、求はすなわち、邦にあらずなりと與む

安んじて見方は 六七十 如く五六十

そして邦にあらずなる者

 

唯、赤もすなわち、邦にあらずなりと與む

宗廟會同は諸侯にあらず、そして何

 

赤なるが爲しゆくは小 孰ずれも能たうは大を爲しゆく