論語エンジェルの【誰でも君子になれる論語の現代語訳】

論語の原文を、何のひねりもなく素直に読んで、現代語に翻訳するよ!

問.「成長の為には傷つけ合ってもいい集団」の中にいるけど、いくらなんでも配慮できない人が多過ぎる。これじゃあ心が荒んじゃう。ちょっとくらい寛大になったり、優しい言葉で諭してくれたり、できないものなのかな?

答.正直な人の反応で意見が揃うなら、原因が自分にあるかもしれないよ?
  雨が地に降るように不快には不快で返って来る、そんな自然が大事!

☆★☆ピックアップフレーズ☆★☆

もってするはなおでほうするおん
もってするは直で報する怨

歪んだ心によるメッセージには、真っ直ぐな心でメッセージを返す。という意味。

下手に寛大になったり上から目線になったりしない方が良い。対等な対応が大事。

14-36(350)

〔ある人〕

心のひねくれてしまった状態の人の行いに対して、
徳、つまり曲がったものを直く見る目で応える、という言葉があります。

これってどうなんでしょう?

 

孔子

徳なら、ひねくれた者に対して同情の余地があるだろうし、憎みもしないだろうし、
根本的な原因や、改善の為の解決策なども把握できるものだろう。

しかし、そういった徳による行いを、心のひねくれた人は認知できないだろう。

一方通行で反応し得ないものは、コミュニケーション上、有ってないのと同じだ。

 

徳のある人は直き状態がわかるが、ひねくれた状態の人には、その直で応える。

歪んでいるか真っ直ぐかの話題であれば、お互いを認知して反応し合える。

 

では、徳では何かに応える事はないのかというと、そういうわけではない。

徳が徳だと認知した上で反応できるのは、やはり徳である。

徳による行いに応えるには、徳をもちいる。


≪状況の推測≫
「歪んだ者には徳で応える」との言葉に、それは純粋なコミュニケーションではないと助言中。

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他人に諭されると自他区別が曖昧になるよね。大事なのは、ありのままの自然を体現する事であり、嫌な事があった時に「嫌な事なんてなかったよ?」って事にして鎮めて平和を装うべきではないというスタンスだね。

白文

或曰

以德報怨

何如

 

子曰

何以報德

以直報怨

以德報德

書き下し文

或曰く

もってするは德で報する怨

何の如く

 

子曰く

何は報する德をもってする

もってするは直で報する怨

もってするは德で報する德