答.何もしないうちは自分らしくなく、ただ流されてるだけだよ!
「善い」に向かわなくていいんだ。「自分」を極めるといいよ!
☆★☆ピックアップフレーズ☆★☆
ぎょうしゅんそれをゆうしもろのふがやむ
堯舜それ猶し諸の夫が病む
理想的な聖人になる事を推奨され過ぎると、人は自信を失いグレる。という意味。
人間は人間でいて良く、また、人はその人らしさを追求するのが、一番生産性がある!
6-28(147)
〔子貢(しこう)〕
例えばこんな人がいたとする。
一般人に対して様々な分野でサポートし、
どんな立場であっても差別がないように調節する事ができる。
こうのような事は何か。
仁だといえるよね。
〔孔子〕
どのへんが仁なのか。
それが間違いなく聖い行いなのはわかるが。
堯と舜の指導者がそれをこいねがったために、
多くの人は苦しみ、気を病んで身を萎縮させた。
仁者は、
自分の欲望で自立しようとし、そして自立した人となりを手に入れる。
自分の欲望で目的達成しようとし、そして目標まで辿り着いた人となりを手に入れる。
包括的なサポートや全体的な調整などは、欲望からはそうそう目標にならない。
できる事といえば、身近なものや実体験をもとにわかりやすく例え話をして、
結果的に他者の役にも立つ事くらい。
こういった事が、聖なる行いを取っ払った、仁なる行いのようなものだけだ。
≪状況の推測≫
聖と仁をいっしょくたにする者へ、聖はむしろ人を害するよと助言中。
論ジェルポイント
聖と仁ってかなり違うね。こうして書きだすと仁って我儘の極みだけど、一周回って尊くなるから不思議。
前章の変なおじさんは聖にウンザリしてたわけね。聖を推奨するなら、せめて自分が聖を実行してからだな!
白文
子貢曰
如有博施於民而能濟衆
何如 可謂仁乎
子曰
何事於仁 必也聖乎
堯舜其猶病諸夫
仁者
己欲立而立人
己欲達而達人
能近取譬
可謂仁之方也已
書き下し文
子貢(しこう;人名)曰く
如くは、民において博く施し、そして能うは濟衆の有り
如く何 仁といえるが可よ
子曰く
仁において事とは何 必なるは聖よ
堯舜それ猶し諸の夫が病む
仁者
おのれの欲で立ち、そして人に立つ
おのれの欲で達っし、そして人に達っする
能うは近くを取って譬える
仁をしゆく方なるのみといえるが可