論語エンジェルの【誰でも君子になれる論語の現代語訳】

論語の原文を、何のひねりもなく素直に読んで、現代語に翻訳するよ!

問.相手の事をよくわからないうちに、自分の安定の為にとりあえず距離をとると、「わかりあう気や誠意が足りなくない?」っていわれる。それって説得力あるからやっぱり距離取っちゃダメなのかな?

答.望遠鏡でズームしすぎて見失ったら倍率下げて確認するのは正常だよ!
  実現不可能な事こそ説得力ある言葉になる。自分の感性を最優先に!

☆★☆ピックアップフレーズ☆★☆

せい、そしてきつにあらず
正、そして譎にあらず

本当に正しければ、見栄えの良いわかりやすい言葉で飾らない。という意味。

正しさを正確に表現する事と、正しそうなオーラをまとう事は違う。見極めが大事。

14-16(330)

孔子

晉(しん:国名)の文公(ぶんこう:人名)は、
概念の宝石をちりばめたかのような、小さく沢山の美しい言葉をまとっているが、
細部まで行き届いていない。

 

齊(さい:国名)の桓公(かんこう:人名)は、
細部まで行き届いているが、
概念の宝石をちりばめたかのような、小さく沢山の美しい言葉はまとっていない。

 

前者は、細部まで行き届いていないから、空白部分は目立つ概念にすがるしかない。

後者は、細部まで行き届いているから、空白箇所に目立つ概念を配置する必要がない。

 

≪状況の推測≫
腑に落ちる言葉を沢山使う人こそ道を理解しているという者へ、逆かもよと助言中。

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要するに桓公さんは狂者じゃないって事ね。次からこの人の事件に関する章で、ただの悪じゃないって事ね。
この章自体の意義は、決め付けて語る人ほど正しくないという点で前章の臧武仲さんのフォローにもなるね。

白文

子曰

晉文公 譎而不正

桓公 正而不譎

書き下し文

子曰く

晉の文公 譎、そして正にあらず

齊の桓公 正、そして譎にあらず