答.それは残念だね。集団は物理的財産だから、なくなる事もあるよね。
まだ自分という財産は残っているから、今はその活用を念頭に置こう!
☆★☆ピックアップフレーズ☆★☆
いまだじんよ
未だ仁よ
環境が変化しても、やりたい事ができなくなって意気消沈する事はない。という意味。
環境に執着するより、どんな環境でも自分を活かせるスキを見つける事が大事。
14-17(331)
〔子路(しろ:人名)〕
桓公(かんこう:人名)が公子糾(こうしきゅう:人名)を手にかけた時、
公子糾の家来だった召忽(しょうこつ:人名)は殉死しました。
同じく公子糾の家来だった管仲(かんちゅう:人名)は、
自らの死を選ぶ事なく、桓公の家来になりました。
傍から見ると、管仲は忠義がないように見えますが、
本人曰く、「ずっと仁で行動しているよ」との事です。
〔孔子〕
桓公が周りの国々を納得させるのに武力行使しなかったのは、管仲の実力だろう。
彼は、不殺の道を率先して進む人物だ。
仕える桓公がそうでなかったとしてもな。
むしろ管仲が力を発揮する事によって、桓公がしえた無駄な殺生を防いだともいえる。
それをする動機となった仁に似ている。その仁にたとえられる。
≪状況の推測≫
集団帰属意識が薄いなんて仁者じゃないよねという者へ、自分を活かせる場所があれば仁はできると助言中。
論ジェルポイント
召忽~って「召された者は心なくして死にゆくはずなのに、管仲は死ななかった」みたいな話の可能性ある?
その方が「心を統一した仁よ」じゃなくて「未だに心を統一した仁よ」である事の筋が通る。ワカランけど。
白文
子路曰
桓公 殺 公子糾
召忽死之
管仲不死
曰未仁乎
子曰
如其仁 如其仁
書き下し文
子路(しろ:人名)曰く
桓公(かんこう:人名)が殺すは公子糾(こうしきゅう:人名)
召忽(しょうこつ:人名)は死をしゆく
管仲(かんちゅう:人名)は死にあらず
曰く、未だ仁よ
子曰く
桓公が九合する諸侯にもってするにあらずは兵車 管仲のしゆく力なり
如くはその仁 如くはその仁