答.自己判断を辞めちゃうんだ。貶された時も持ち上げられた時もね!
本人は幸せそうでも、向上心がなくなってちゃ未来は暗いよ!
☆★☆ピックアップフレーズ☆★☆
ぜのみちなり
是の道なり
善しとされる道に沿っているのであって、自分で道を進んではいない。という意味。
自分軸での行動は、一見無知に見えるが知に頼らないという不知であり、別物である。
9-26(233)
〔孔子〕
やぶれたふるわたの服を着ているのに、上品な毛皮を着た者と一緒にいて、
堂々としていて自分の在り方を変化させない者、それは由(ゆう:子路の事)だろう。
詩経に、
「堂々とした雄キジには、何かを妬みもせず、誰かに求めもせず、
格好の良さを一切気にしていないという、格好の良さがある」
という詩があるが、その状況とピッタリだ。
それを聞いた子路は、自分らしさを終わらせて、常にその詩を呟くようになった。
〔孔子〕
善しとされる指標となったから、呟き続けているのだろう。
満足げなのは、格好の良さを手に入れたからではないか。
≪状況の推測≫
褒められて得意になっている者へ、褒めたら良さがなくなっちゃってションボリ中。
論ジェルポイント
自然界の生き物の生きざまってカッコいいよね。まなざしがもうローグライクをちゃんとやってんだもの。
でも長所を褒められると、アイデンティティを自認して嬉しくなるのは当然だよね。自己認識自体は大事!
白文
子曰
衣敝縕袍與衣狐貉者
立而不恥者 其由也
與 不忮不求 何用不臧
子路終身誦之
子曰
是道也
何足以臧
書き下し文
子曰く
衣が敝した縕の袍で與むは、衣が狐貉の者
立ち、そして恥にあらずの者 其それは由(ゆう:子路の事)なり
與むは、忮にあらず、求にあらず 何を用いるかは臧にあらず
子路、終身、誦しゆく
子曰く
是の道なり
何が足るは臧をもってする