答.そんな過激な事が本当にしたいのか、今一度自分の心に聞いてみて!
望んでいたのは幸せじゃないかな? 過激と幸せは真反対にあるよ!
☆★☆ピックアップフレーズ☆★☆
きずのひとよ うまはとうにあらず
傷の人よ 馬は問うにあらず
既に自責の念で罰を受け反省している者に、更なる罰は与えない。という意味。
何事も、ほどほどを超えると、それこそがバランス崩壊を起こす原因になるという事。
10-3(240)
康子(こうし:人名)が藥をおくってくれた。
丁寧に礼拝して、そして受けとっていった。
〔孔子〕
私はまだ達者で元気なので、本当に必要になった時に使います。
既に元気な人が、更に元気になる事は、わざわざしません。
また、馬小屋が火事にあった。
孔子が朝廷から帰ってきてこういった。
〔孔子〕
責任者は、火事になった事だけで、自責の念で心を痛めているよ。
既に落ち込んでいる人を、更に馬の事まで問いたてて責める事は、わざわざしません。
≪状況の推測≫
健康は善でもっとやった方が良く、悪者は悪でもっとこらしめた方が良いという者へ、中庸でOKと助言中。
論ジェルポイント
はじめて論語を読んだ時、孔子さんは馬の事を見下してるのかなって思ったけど、前後文を見ると違うのね。
逆に、大事な馬だったとしてもそういえる所に、着眼しなければならなかった。孔子さんの寛大さが凄いね!
白文
康子饋藥
拜而受之曰
丘未達 不敢嘗
廐焚
子退朝曰
傷人乎 不問馬
書き下し文
康子が饋るは藥
拜し、そして受けゆき曰く
丘はいまだ達、嘗は敢にあらず
廐が焚
子、朝を退いて曰く
傷の人よ 馬は問うにあらず