論語エンジェルの【誰でも君子になれる論語の現代語訳】

論語の原文を、何のひねりもなく素直に読んで、現代語に翻訳するよ!

問.国民が学ぶにはどうしたらいい?

答.上から引っ張られる時ではなく、下から持ち上げる時に自ずと学ぶよ!
  クレーンで運ばれるのはラクだけど、同僚の為の試行錯誤は宝物さ!

☆★☆ピックアップフレーズ☆★☆

しほうをしゆき、たみをきょうでおう
四方をしゆき、民を襁で負う

色んな所へ行っていろんな経験を積み、自分と同じ立場の他者を背負う。という意味。

与えられる事を望む者は、与えられても結局何も活かせない。主体的な経験が最優先!

13-4(290)

〔樊遲(はんち:人名)〕

学ぶべきものを、収穫期の稲穂のように、ごっそりと与えて下さい。

この通り、お願いします。

 

孔子

理性は、経験を積んだ農家による作物の収穫とは、似つかない。

素晴らしい農家は経験によって、豊作へと導き大量の作物で皆を満たす事ができるが、
学びには、そのような豊作という概念が無い。

よく学んだ先人が身近にいようと、頼る事無く地道に自分で学んでいくしかないのだ。

 

〔樊遲〕

では、学びの実りを自分で収穫できるように、畑を与えてください。

この通り、お願いします。

 

孔子

理性は、経験を積んだ農家が育てた畑とは、似つかない。

素晴らしい農家は経験によって、畑をよく実るように育て上げられるものだが、
学びには、畑の代理育成というというような概念が無い。

荒れた土地を手探りで耕して、自分自身が素晴らしい農家になっていくしかないのだ。

 

 

樊遲が部屋から出て行く

孔子

小人としか言いようがないのが樊須(はんす:樊遲の事)だろう。

 

身の丈以上のものを好みながら、感性的な内なる気持ちの表現をしても、
国民は意図的にしているという自覚がないまま、尊重すべき個性を敬えない。

身の丈以上のものを好みながら、理性的な約束事をしても、
国民は意図的にしているという自覚がないまま、浮ついてしまい服属できない。

身の丈以上のものを好みながら、裏表のない表現と認識をしても、
国民は意図的にしているという自覚がないまま、素の認識のまま用いる事ができない。

 

彼のような青々しい心の持ち主にとっての、セオリーのようなものは、
とにかくいろんな事を実際にやってみて、国民をおんぶする側に回る事だ。

それが向上心を持って成長する事であり、それを続けていれば最終的には、
裏表のない表現と認識から、ごっそり学びを収穫できるようになるのだ。

 

≪状況の推測≫
頭を低くして教わろうとする者へ、自分でやるしかないと思わせる為に軽くあしらい中。

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大木が一つあればその周りの木々はもやしっ子になる。つまり孔子さんが身近過ぎたせいで、小人なのよね。
なので、突っぱねるのが正解って事だね。先人を参考に出来ればいいけど、日陰になるなら害なるのみだね!

白文

樊遲請學稼

 

子曰

吾不如老農

 

請學爲圃

 

吾不如老圃

 

樊遲出

子曰

小人哉樊須也

上好禮則民莫敢不敬

上好義則民莫敢不服

上好信則民莫敢不用

 

情夫如是則四方之民襁負

其子而至矣

焉用稼

書き下し文

樊遲(はんち:人名)請うは學の稼

 

子曰く

吾、如にあらずは老の農

 

請うは學の爲の圃

 

曰く

吾、如にあらずは老の圃

 

樊遲出ずる

子曰く

小人かな樊須(はんす:樊遲の事)なり

上を好む禮、すなわち民は莫の敢えてで敬にあらず

上を好む義、すなわち民は莫の敢えてで服にあらず

上を好む信、すなわち民は莫の敢えてで用にあらず

 

情の夫の如くの是はすなわち、四方をしゆき、民を襁で負う

その子、そして至たるや

焉の用は稼