論語エンジェルの【誰でも君子になれる論語の現代語訳】

論語の原文を、何のひねりもなく素直に読んで、現代語に翻訳するよ!

問.偉そうな人の作る環境がNGなのはわかったけど、偉そうじゃなければ誰でも良いってわけじゃないよね?

答.そうだね。後輩ができるといきなり図々しくなる人とかいるものね。
  人格者なら立場で態度を変えない。先人の出方を見て見極めるべし!

☆★☆ピックアップフレーズ☆★☆

せつせつししいい
切切偲偲怡怡

分別と繊細さと細かい事に感動する事は、人格者が共通して持ってる事。という意味。

偉そうにしていると、そういった事には手が回らない。統治者にこそ主体性は必須。

13-26(312)

子路(しろ:人名)〕

何ができたら、貴族といえるのだ?

 

孔子

ピッタリと核心に迫り、思慮深く繊細な共感力があり、小さな幸せを幸せだと喜べる。

これらがあるなら、貴族といえるぞ。

 

核心に迫る事と繊細な共感力は、仲間や友達など親しい存在に対してだ。

小さな幸せを見過ごさないのは、兄弟などより身近な存在に対してだ。


≪状況の推測≫
何ができたら貴族かを問う者へ、国民に対してどうのよりも自分の身近な存在を大事にできるかだと助言中。

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孔子さんって必ず理知的な漢字と感覚的な漢字を使うよね。「切」は物理的な理性、「偲」は精神的な感性。
そして最後にまとめで自分の在り方「怡」をもってくるわけだ。バリエーション豊富なワンパターンに敬礼!

白文

子路問曰

何如斯可謂之士矣

 

子曰

切切偲偲怡怡如也 可謂士矣

朋友切切偲偲 兄弟怡怡

書き下し文

子路(しろ:人名)問いて曰く

何の如くの斯きが士と謂いゆくが可や

 

子曰く

切切偲偲怡怡の如くなるが士と謂えるが可や

朋友は切切偲偲 兄弟は怡怡